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【日雇い】外資系?企業にてインバウンド市場最前線を体験【爆買い】

 

「もうすぐ到着します」。という連絡を受け、通り沿いに立っていた。しばらくすると路地からぬっと黒いハイクラスのミニバンが現れた。

 

その運転手がこっちに手を振っている。8と6を多用したナンバープレート、飲み会が多いせいか恰幅の良い姿、人が良さそうに笑う彼は典型的な中国人商人の顔をしていた。

 

今日、僕は彼の下で日雇いをする。彼は訪日中国人観光客に対して、様々なサービスを提供する会社を経営しているそうだ。

 

 

この様々なサービスというのが、僕が聞いた限りでは、宿泊施設の手配、旅程の提案、現地ガイド、または料亭の予約仲介から現地風俗ガイドまであるらしい。

 

彼の名前は李さんといった。今日何をするか事前に確認した際、彼は「運転手だよ」とだけ僕に伝え、あまり詳しい内容は言わなかった。ゆえに今日、いまから何を運ぶのか僕は知らない。

 

車に乗り込み、一通り挨拶を済ませ、「これからどこへ行くんですか?」と尋ねてみた。「関空へお客さんを迎えに行って、京都の嵐山まで運ぶ。所謂、ハイヤーの運転手だね」。

 

 

と彼は答えた。なんだそれだけか。僕が呑気に考えていると突然、彼の携帯に連絡が入った。

 

 

 

 

「新しいお客さんが入った。これから新大阪のホテルに行って、そこのお客さんをついでに関空に運んでほしい。私はこれから伊丹空港に行くことになったから、どこか近くの駅で下してくれ」。

 

そして彼は「状況は常に変化しているんだ」、と付け加えた。

 

僕はこの仕事の初日にしていきなり独り立ちをすることなった。これは誇るべきなのか。不安と興奮が織り交ざり、僕は簡単な小銃の操作だけ教えられ前線に送られる少年兵のような気分になっていた。

新大阪に行く途中の駅に着き、李さんは颯爽と車を下りた。「じゃあ後はよろしくね!」。彼は手を振って改札へと階段を駆け上っていった。

 

とうとう僕は一人になってしまった。そう不安に駆られる間もなく、僕のwechat(中国人が使うチャットアプリ)にメッセージが届いた。見れば、李さんと僕と林さんという人を含む三人のグループチャットが作られていた。

 

そこには「関空に着いたらこの人と合流してください@林」。とだけ書かれていた。このスピード感、そして、さっき会ったばかりの僕にすべてを任す投機的な対応力。

これが急速な経済発展を支える原動力なのか。僕はそう考え、ゾクゾクしながら車のエンジンを点けた。

 

指定された新大阪のホテルに到着し、お客さんを車に迎え入れた。「どうも、宮崎と申します。今日は関空のターミナル2までで良かったですよね?」

 

と僕が挨拶すると、まさか日本人が迎えに来ると思っていなかったのか、お客さんは「こんなこともあるんやね」みたいな表情をしていた。

 

僕は彼らと、その人数より少し多いスーツケースを車に載せて関空へ出発した。一人の女性は、おそらく僕が簡単な言葉しか分からないと思っているようだ。スーツケースを満載した車内が狭い狭いと愚痴を漏らしている。

 

「私たちはちゃんと荷物の事も伝えたのに!絶対クチコミに書き込んでやる!」。とあたかも僕の存在がないものように喚いている。

 

高速道路走行中、僕はそんな悪い車内の空気を変えようと思った。そこで「今回は日本のどこに行かれたんですか?」と彼らに話しかけてみた。

 

しかし、誰しも何も返事をくれない。しばらくして子供が「ママ、あの人何か言っているよぉ」、とつぶやいた。

 

それにお母さんらしき人が「あの人は中国語喋ってるんだよ」。とだけ答えた。その後、沈黙が続いた。

 

 

 

 

堺泉北臨海工業地帯辺りに差し掛かった折、工場から立ち上る煙をみた女性が「きっとここも大気汚染が有るんだろうな」、とつぶやいた。

僕は少しでも日本の印象を良くしようと思い「あれは単なる水蒸気ですよ。このあたりでスモッグは発生しませんよ」、とそれに答えた。が、再び無視されてしまった。どうやら彼らは僕に全く関心がないようだ。

 

これは、今まで中国語が出来るというだけでちやほやされてきた僕にとって衝撃的だった。関空のある人工島へと続くスカイゲートブリッジ、そのどこまでも続きそうな長い橋を、沈黙のまま走り抜けた。

空港でお客さんを下ろした僕は、現地で林さんと合流した。今度は林さんの車と協働で七人のお客さんを京都嵐山まで運ぶ。今回のお客さんはわりと、愛想よく僕と話してくれた。

 

しかし、このお客さんは香港で働いているせいか、訛が強く、加えて会話に英単語を多用してくる。

 

「私のコーポレーションはトランスレーションサービスをプロバイドしていて」とルー大柴のような中国語でまくしたてる。

僕は僕で、先行する林さんの車を見失わないように集中しなければならない。こうした緊張感により帰り路はあっという間だった。

 

 

 

 

嵐山に到着し、お客さんたちを下ろした。そこは、桂川の上流にある本館まで船を使ってお客さんを運ぶ一泊10万円近い高級旅館だった。

 

ルー大柴のような中国語を話す女性は僕へ丁寧に礼を言い、係員に導かれ船着き場へと向かった。中国とは本当にお金持ちの国だ。僕はふと思った。

 

 

しかも聞くところによれば日本に来るのは二流三流のお金持ちらしい。日本人はまだ中国の一流のお金持ちがどんな人なのか見ていない。

 

最近僕は、お年寄りと話す機会が多い。彼らの多くは未だに中国と言えば、貧乏だとか、発展していない、という固定観念を持っている。

 

 

僕が一応、今の中国はあなた方のイメージよりもずっと進んでいてお金持ちですよ。と言うと、大抵の場合、嘘でも聞いているような表情をされるか、たまらなく嫌そうな顔をされる。

そして、話を理解してもらえないか、もしくは「いや、今はバブルやから。今のうちちゃう?」。とそれを一時的な現象として否定される。

 

僕はそれが歯がゆくて仕方ない。もう少し、自分たちがおいそれと買えないモノを大量に購入している人々がいることを直視した方がいいのではないか。

 

なによりこれが一時的な現象ではないと分かった時、彼ら日本の老人たちは自分たちが追い越されたことを受け入れることが出来るのだろうか。

お客さんと、その人数より少し多いスーツケースを乗せた船が、ゆっくりと桂川を上って行った。

 

「今日はお疲れ様です!車は、給油と洗車をしたあと京都駅のそばの事務所にかえしといてね」。と林さんは僕に言うと、さっさとかえってしまった。

 

僕は洗車代と給油用のカードを握りしめて道すがらのガソリンスタンドに立ち寄った。車を給油機の横に停め、パワーウィンドウを開けて、店員さんにレギュラー満タンで、と頼む一連の流れの中で、僕はあることに気付いた。

 

マイルドヤンキーが僕を見ている。

いや正確には、僕と車を含む全体像を見ている。そうか。僕は今、「ベルファイア」というトヨタのハイクラスミニバンに乗っている。

 

 

 

 

そう、多くのマイルドヤンキーたちは、必ず一度この車に憧れるのだ。なぜなら広く居心地のよい車内により、地元の仲間たちに最高のホスピタリティを提供することが出来るからだ。

 

そうした仲間たちを乗せた「ベルファイア」を運転し、農業開発道を颯爽と走り抜ける。マイルドヤンキーなら一度はそう夢想するだろう。

しかし現実は厳しい。多くのマイルドヤンキーは夢半ばで、中古のステップワゴンを買うのだ。

 

そんな憧れの車を、同年代の、冴えない僕が運転している。彼は羨望の眼差しを車体から、僕の顔、そして内装のオプションを確認するように泳がしている。

 

給油を終えた僕は、洗車エリアに車をまわす。降車し、「ばふん!」と良い音を響かせてドアを閉めた僕は店員さんに洗車をお願いする。

 

ほぼ新車な僕のベルファイアを見た店員さんは「傷が付くかもしれない」という理由で、洗車機ではなく、グレードの高い手洗いコースを勧めてくる。

 

「ええ?傷が付いちゃうんですか?」僕はこれ見よがしにベルファイアをいたわる。マイルドヤンキーは自身の軽自動車の空気圧点検をする傍ら、なんどもそれを見ていた。

 

洗車を終えた僕は意気揚々とガソリンスタンドを後にした。そうだ音楽を聴こう。そう思い、スマホとカーステレオを繋げアップルミュージックで音楽を聴き始めた。

 

しばらくいい気分で音楽を楽しんでいた。しかし何故だか、悲しくてたまらなくなってきた。ああ、僕はなんと貧しいのか。

握っているハンドルは中国人のモノだし、使っている音楽配信サービスはアメリカ人のモノじゃないか。そして、この貧しい僕のせめてもの慰めがマイルドヤンキーに中国人から借りた車を見せびらかすことだった。

 

きっとGHQの下で働いていた当時の日本人もこんな気分でJAZZを聞いていたのだろう。そう思うと、なんだか心が楽になってきた。

 

事務所に到着すれば、朝一緒に行動していた李さんはすでに帰社していた。僕は、車のカギを、僕が見たマイルドヤンキーの甘い夢と共に李さんへ返した。「今日はありがとう、助かりました!これ、今日の給料です」。

 

そう言うと、李さんは労働時間に対して割のいい額を、裸のまま僕に渡した。

 

中国人社長から受け取る福沢諭吉はどことなくふっくらとしていて、気前が良さそうだった。やはりお金があることに越したことはないのだ。

 

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