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【ワーキングホリデー成功の秘訣】オーストラリアで人生一発逆転!

 

*今回はオーストラリアワーキングホリデーを人生の転機にしようとしている人達に向けて、

 

「必ず失敗する典型例」について書いてみました。

 

そこだけ見たい方は坂田くんとドーナツ屋さんに行ったところから読んでください。

 

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皆様にも、こんな知り合いがいないだろうか。

人生のどこかの時点で関わることになってしまった、「ダンゴムシ」のような知り合いが。

 

もし彼らの姿を何らかの集まりなどで発見すれば、イジってみることもあるだろう。だが、一対一で会った時、例えば友人と街を歩いている時に、彼らを発見してもわざわざ足を止めてイジったりしない。

 

 

そんな、「ダンゴムシのような関係性」、しか持たない知り合いだ。

 

僕にも何人かそんな知り合いがいる。ただ僕の知り合いの場合、人間というより幾分ダンゴムシの要素が強い人物が多い気がする。

 

彼らは上記したようなダンゴムシ程度の魅力しか持たない。そういう訳あってか、仕事をしても上手くいかない。もしくはそもそもまともな仕事すら見つけられない。見つけたとしても長続きしない。

 

そうした彼らは総じて子供、もとい幼虫の時から友人が少なく、人間のクラスの中にいてもあまり目立たない存在であった。成虫になった後も、基本的に職場と住処である石ころの下との往復のみで生涯を終える。

 

ただ、僕は性格上、そんな彼らの住む石ころをひっくり返して見たくなる。そして、もっと明るい世界があるからおいでよと、彼らを石ころの下から引きずり出したくなる。

 

 

しかし、彼らはこちらから手を差し伸べても、それを素直に受け取らない場合が多い。

 

それもその筈、彼らワラジムシ目の昆虫は非常に臆病なのだ。何か新しい刺激に対して、「俺そういうの興味無いから」、と言い訳を言いながら丸くなる。

 

この言い訳が彼らの習性なのだ。「痛い、頭をぶつけた!壁が悪い!」、「お腹が空いた、ご飯が取れない!場所が悪い!」。とそうしたダンゴムシ人間はすぐに環境や人のせいにし、丸くなって動かなくなる。

 

そしてちょっと考えたら分かること、ちょっと我慢したら出来ること、それが出来ない。その不甲斐なさを見かねた親しい人間が、餌となる濡れた落ち葉をもってくると、それに我が物顔でむしゃぶりつき、そして再び丸くなって眠るのだ。

 

ただ唯一、恐ろしい事としてこうしたダンゴムシ人間の多くが「一発逆転」を夢見ている。

 

薄暗い石ころの下で、「俺はやれば出来る」。「俺はもっと大切にされるべきだ」。と夢想しながら蠢いている。

 

 

下記は、数ある一発逆転の手段の一つ、「ワーキングホリデー」で人生逆転を夢見た、あるダンゴムシの話である。

 

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「ワーホリに行こうと思ってるんだけど、相談乗ってくれ!」

 

突然僕は坂田くんからこのような連絡を受けた。坂田くんとは同じ中学校の出身だった。ただ中学時代に友人関係があったわけではない。

 

当時の僕は、地味で目立たない上、勉強も出来ない彼に興味がなかった。そんな彼よりむしろ、下校時に見かける坂田家で飼われていた雑種犬の方に興味があったのを覚えている。

 

僕は以前より英語ができて、外国人の友達が多かった。社交性のない彼のことだ、彼にとって僕は唯一「海外に知見がありそうな知り合い」、なのだろう。だから相談をしてきたのか。

 

ワーキングホリデーに行くことと言い、自ら情報収集を行っていることと言い、奥手な彼にしては思い切った行動だ。まぁ暇だし相談を受けてみようか。

今年29歳になる彼は、今どこで何をしているのだろう。飼っていた雑種犬のことを聞くついでに、近況について聞いてみよう。そう思い、僕は指定されたドーナッツ屋で待っていた。

 

 

待ち合わせの時間から五分ほど遅れて坂田くんは到着した。「すまん!」、と一言いうと彼はあれこれ遅刻した言い訳を並べた。

 

とりあえず何か注文したら?と僕が促すと、彼はドーナツ2つと水を持って席に帰ってきた。

 

チョコにしようかカスタードにしようか、結局決めきれなくて2つ買ったのだ、普段はポン○リングしか選ばないけど今回は挑戦したと坂田くんは面白そうに話し始めた。

 

僕は彼のぎょう虫検査の結果を聞いた時も、おそらくこう言うだろうと思い、「そうなんだ」、と興味なく答えた。

 

で相談って何?と僕から質問する。「ワーホリに行くらしいね。だけど僕はワーホリに行った経験も無いし、力になれること無いかもよ」。僕はそう付け加えた。

 

「英語どうやって勉強した?」。それが彼の最初の質問だった。僕はこういうことをよく質問される。

 

僕は学校の教科書などを使って、真面目に時間をかけて勉強した、と答えた。

 

「ワーホリに行ったら、俺も英語喋れるようになるかな?」、彼はまた僕に質問する。知るか。僕はそう思い「一日3時間、3ヶ月勉強したら、ワーホリ行く必要ないよ」、と答えた。

 

 

「英語喋れるようになるまで、どれだけ時間がかかった?」、そして彼は続けざまにこう問うて来た。

 

僕は経験上、こういう質問をしてくる人間に真正面から答えても仕方がないということを知っていた。

彼は根本的な問題として、「英会話が出来る」ということの定義が出来てない。

 

ハロー!アイ・アム・ジャパニーズだけの語彙でも会話は成立するときはあるし、相対性理論が如何に間違っているか英語で論述出来る能力があっても、ピザ屋のバイトやレジのおばちゃんと会話出来ない場合もあるだろう。

 

彼のように、字義だけに囚われる浅い思考をしていると、ろくな年寄りにはなれないだろう。百均グッズの無料配布につられて高齢者向けのセミナーに参加し、

 

「あたりまえの幸せを取り戻す」と書かれたホワイトボードの前で売られる、30万円の羽毛布団を買ってしまうのが関の山だ。

 

 

「俺今回かなり本気なんだ。ワーホリ行って人生変えようと思ってるから。だからもう仕事辞めたんだ」。

 

その前になんの仕事は何してたの?と僕は聞くと、彼はある有名カラオケ店の名前を挙げそこでバイトしていたと言う。

 

 

 

 

そもそも大学卒業後、普通の会社に就職したが、そこの上司が如何にクズであったか、そして辞めて正解だった理由について長々と語り始めた。

 

どうやら坂田くん正社員を辞めた後、28歳の年齢まで派遣やバイトのみの職務経歴らしい。

 

要するに、彼はこのワーキングホリデー経験を通して、メモ用紙程度の価値しか無い自身の履歴書の見栄えをよく出来る。と考えているのか。

 

じゃあ、なんでワーホリに行きたいの?と僕は彼の愚痴を遮った。「英語をマスターして人生を変えたいんだ。その覚悟は出来ているから」。彼はそう、えらく真面目に答えた。

 

英語が喋れたら、人生が変わる。まるで最貧国のストリートチルドレンのような発想だ。

 

一日100円以下で生活するストリートチルドレンなら、英語が喋れることで土産物屋やタクシーのドライバーになり、生活レベルが劇的に向上するだろう。

 

しかし、日本のカラオケ屋でドリンクバーの清掃をしている彼に英語力が付与されたところでどうなるのだ。

 

もしかすると、200円ばかり時給が高い仕事に就けるかもしれない。8時間働くと1600円差が出る。ただ、この1600円を積み重ねがいずれ彼を成功者へと押し上げるのか、とはどうも考えにくい。

 

 

「アビバで資格取ったほうが人生変わるんじゃない?」、そこで僕は至って先進国的な考え方の一例を彼に示した。

 

「もう書類を集めているんだ」。坂田くんはおもむろに持ってきた茶封筒から書類を出して見せた。どうやら、ワーキングホリデー斡旋業者と具体的な話を進めているようだ。

 

そこには「オーストラリアワーキングホリデー安心パック」、という丸文字が、でかでかと書かれてあった。ただ、見積書には小さく費用は100万円ほどかかると記載されている。

 

「来て最初の3ヶ月、日本人の受け入れに慣れているホストファミリーのもとで暮らしながら、語学学校で英語を学んで、

 

3ヶ月たった後は家やバイトも紹介してくれるらしいから、これが一番安心かなと思って、」、と彼は自信なさげに説明した。

 

「俺はこれくらい本気でオーストラリアにワーホリへ行きたいだ、最低でも3年間は帰ってこないから」。そう彼は意気込む。

 

僕は、僕たちが彼を3年間も失うことで生じるデメリットを考えて、何も思いつかずに、「すごいじゃん」。と答えた。

 

ただ、3年も滞在出来るのか?と僕は単純に気になり、そう聞く。「そうだよ。ただ、二年目と三年目に『農場で働いたら』、ビザを更新してもらえるらしいよ」。何の気なしにそう答える彼に、僕は驚いてしまった。

 

僕はすかさず自分のスマホでオーストラリアワーキングホリデーのビザ規定を調べた。どうやらこれは本当らしい。

 

ワーキングホリデービザを一年間のみに限定している国が多い。しかしオーストラリアは例外的に、3年間までビザ延長を認めている。

 

 

 

 

ただ、そのために一年目に3ヶ月、二年目に6ヶ月間政府が指定した地域における農場でのアルバイトをしなければならないそうだ。

 

これは明らかな農繁期における労働力確保の政策じゃないか。白人社会は英語学習を餌に現代の植民地経営を行っているのか。

 

「この経験は絶対俺を変えると思う。正直俺は日本が嫌いなんだ。だから向こうで永住しようと考えている」。

 

僕は決意に燃える彼の瞳、その鈍そうに輝く瞳の中で渦巻く幻想から、彼を救いたくなった。

 

「まず、目的として永住権獲得だと思うんだけどそのためには結婚するか、向こうで仕事につくかしかないと思うんだよね。どうするつもりなの?」。僕はまずそう尋ねた。

 

「とりあえず、行ってから考えようと思っている」。彼は僕を真っ直ぐ見据えて、そう答えた。なんの職歴やスキルもない彼が、そんな行き当たりばったりで上手くいくはずがない。

 

二年目で学校に入り、三年目で資格を取得し、半年間で就職活動する。くらいの計画が今のうちからなければ「永住権」なんて取れるはずがない。

 

逆の立場になって考えてほしい。海の向こうにいるカラオケ屋のバイト(アラサー)が日本の永住権を夢想しているのだ。

 

これは気味の悪いことだ。その事実を知ってしまい、夜眠れなくなる子供もいるだろう。

 

「行ってから考えるっていっても、今より生活コストが高くなるから毎日バイトに追われると思うよ。しかも外国で、助けてくれる人もいないし長期的な計画を立てる暇あるかな?学校行くとしたら学費も準備しないと行けないし。予定立てて行動しないと絶対無理だと思うよ」。

 

「まあ、とりあえず3年あるし、行って考えようと思っているから」。彼は考えることから逃げまわる人間にありがちな苛立ちを見せ始めた。僕はふと、以下の考え方を切り出してみた。

 

 

そもそも、3年間ワーホリビザで滞在するのなら、3年=36ヶ月でしょ?36ヶ月から―9ヶ月間農作業(一年目更新時3ヶ月、二年目更新時6ヶ月)が必要となる、だから普通に生活出来るのは27ヶ月ってことだよね?

 

じゃあビザ2年目までのみビザを更新したら24ヶ月-3ヶ月(一年目の農作業のみ)で21ヶ月。ワーホリビザ終了後は3ヶ月間の観光ビザでニュージーランドで過ごして、その後再びオーストラリアに観光ビザで3ヶ月間滞在したら実質同じ3年(27ヶ月)じゃない?

 

ニュージーランドじゃなくて一時帰国でも良いけど、そっちの方が集中して、例えば現地の大学や専門学校への進学や就労のための資格取得に取り組めるんじゃないかな。

 

3年間ビザを更新するためには農作業をしなければならない。という情報だけを聞いて、「わかりました」。

 

と農場に行ってしまうのって、10円安い卵を買いに、往復1時間先のスーパーに車を走らせる主婦の思考と同じじゃない?と僕は坂田くんに提案した。

 

「なるほど…」

 

坂田くんはストリートチルドレンの一週間分の賃金に相当するチョコリングドーナツをかじりながらそうつぶやいた。

 

********

 

 

 

 

その後坂田くんは、結局「ワーキングホリデー安心パック」でオーストラリアへ旅立った。

 

入国後、現地日本人業者が彼を空港へ迎えに来ていた。その男の車に乗り、坂田くんはホストファミリーの家へと連れて行かれた。

 

ホストファミリーは非常に事務的に坂田くんを部屋に案内し、近隣のスーパーマーケットや携帯ショップ、また困った時の連絡先が記載された手製の地図を渡した。

 

その後、同じ階の部屋になんという名前の日本人が住んでいるか、「ミチハル、ケン、タクヤ…」とドアを指さして説明していたが、おそらく皆バイトに出ているためか不在だった。

 

その後彼の語学学校が始まった。クラスメイトの多くは韓国人で、日本人は少数派だった。そのなかでも、日本人20代前半の大学生たちはすぐにグループを作り、韓国人たちとも親しくするようになった。

 

 

そういった若者の輪に入れなかった坂田くんは、同じく「ギリホリ」と呼ばれるビザ年齢基準ギリギリで徳島県から来たアラサーの野瀬さんという男と、なんとなく行動を共にし始めた。

 

野瀬さんは車が好きで、よく坂田くんに徳島県時代に、峠で事故しかけた話を聞かせたり、乗っていた改造車の写真を見せた。坂田くんはいつも退屈そうにそれを聞いていた。

 

野瀬さんと坂田くんは日本人が経営する日本居酒屋の厨房でバイトすることになった。オーナーと行うキッチンの仕事は殆ど日本語だけでコミュニケーションを行い、オーストラリア$で給与をもらった。

 

そうこうしていると、最初のビザ更新月が迫って来た。そのため、坂田くんは農場へ行かなければならなかった。

 

 

そこは現地で永住権を取得した日本人が経営する農場だった。人種国籍的配慮なのか、その農場で果物の摘み取りをするワーホリ滞在者は全員日本人、しかも関西人だった。

 

三ヶ月間、関西人との共同生活と農作業によってすこし関西弁が感染った坂田くんは再び、日本居酒屋のキッチンに舞い戻った。とんかつの仕込みの腕はすぐに戻ったが、農作業で浅黒くなった肌色はなかなか元に戻らなかった。

そうこうしていると半年はあっという間に過ぎた。再び農作業のシーズンがやってきた。「また農業か、めんどさいなぁ」、と語る野瀬さんに、坂田くんは満を持して切り出した。

 

「農業六ヶ月するんやったら、ニュージーランドで3ヶ月過ごして、また観光ビザでオーストラリアに再入国するのと同じやろ。

 

ビザ更新のため素直に農作業へ行くのは、10円安い卵パックを買いに往復一時間車を走らす主婦と同じ考え方やで」、そう関西弁で坂田くんは提案した。

 

「オーストラリアから出たり入ったりするの面倒くさくない?」、野瀬さんはそう坂田くんの考えを一蹴した。

 

「第一、航空券代やニュージーランドで3ヶ月過ごす金も無いし」。野瀬さんはそんなことをボヤきながら、串カツの仕込みをやっていた。

 

結局坂田くんは、二年目の農作業6ヶ月間へ行くことにした。一日の作業が終わり、二段ベッドの上で坂田くんは3年以降、オーストラリアに残れる方法を調べていた。

 

彼は30歳になったこの歳で再び大学に入りたいと思わないし、入学できる自信もない。なら、手に職をつけてここにオーストラリアに残る道を探ろうか。そう思い、永住権獲得のため優遇されやすい職業リストに目を通す。

 

 

そこは、医療関連、シェフ、看護師、助産師、会計士、エンジニア関連、もしくは左官や大工、電気工事士、配管工、鍵師と書いてあるが、どれも成れるとも成りたいとも思わない。

 

そうこう考えては、結局何も思いつかないままユーチューブを見る。寮の消灯時間が来て、坂田くんは眠りについた。翌朝また、農作業が待っている。

 

彼のワーキングホリデーはこうして終わった。

 

 

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帰国の時、関西国際空港行きの便に乗る予定の野瀬さんと空港へ向かった。そして、「日本でもまた会おうな」、と約束し、別れた。出発時に28歳だった坂田くんは31歳になっていた。

 

東京に帰った後、坂田くんは貯金がゼロになる前に正社員職までのつなぎとしてアルバイトをすることにした。その仕事の求人票には「英語力ある方」と書かれていた。それはホテルの受付の仕事だった。

 

3年間のワーホリを終えた人間にどんな変化があるのか。それが気になった僕は坂田くんを誘って外国人が多く集まるパブにでかけた。

 

 

坂田くんはオーストラリアであった面白かったことや、現地の風俗でオーストラリア人を抱いたことなどを楽しそうに話していた。

 

英語で何か喋って見てよと僕が彼にリクエストすると、彼は英語はあまり上手くならなかったと答えた。また最初のホストファミリーのサポートが悪かったとか、ワーホリ斡旋業者の金額設定が不当だとか文句を言い始めた。

 

僕はそばで一人で飲んでいた、オーストラリア人の女の子に声をかけた。会話の中で坂田くんがワーホリから帰って来たばかりだと言うことを話すと、その子は嬉しそうに坂田くんに話しかけた。

 

しかし、坂田くんは何を話して良いのか英語が出て来なかった。彼がオーストラリア時代に訪れた街のことを話した時も、その地名がカタカナ発音だったため、理解してもらうのに時間がかかっていた。そもそも、英語力以前の問題として会話が続かなかった。

 

しばらくして、僕がその子と今夜寝ることが出来ないか考え始めていると、坂田くんは「ちょっとそろそろ帰らないと行けない」、と切り出してきた。

 

そうか、だけどまだ九時だよ、せっかくワーホリに行ってた国の女の子がひっかかったんだからもう少し話していったら?僕はそう彼に言った。

 

「明日、早番やから」、そう彼は言うと、財布から自分が飲んだ分だけ出した。彼はこの国でも生きていくためにバイトしなければならない。「じゃあ」、と言い残した坂田くんは、ダンゴムシのように背中を丸めて帰っていった。

 

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