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【健康長寿】83歳の高齢者から聞いたモテるための秘訣とは

社会から落伍することは、本当に恐ろしいことなのだろうか。

最近僕は、派遣もアルバイトも一切やってない。それどころかどこに行っても「僕はぷー太郎です」と臆面なく自己紹介するようになった。

 

 

思えば僕は十代の頃、高校を辞め三年余りぶらぶらと暮らしていたせいか、既存のレールや、社会から落伍するという事に対して、恐怖心が薄いのかもしれない。

 

 

しかしこんな自分にも「競争心」はあったはずだ。その気持ちを思い出させた出来事があった。それは市民プールのジャグジー風呂のなかだった。

 

最近、週に一度僕は健康増進とボケ防止のためプールに通っている。とは言え、僕は泳ぎがあまり得意でない。なので、だらだら一時間ほど泳ぎ、疲れたらプールサイドのベンチで寝るか、キッズとポケモンの話をする。そんな怠惰な時間を過ごしている。

 

あの日も、そんな調子で一時間半ほど過ごし、締めのジャグジー風呂につかっていた。すると、となりにいたお爺さんが「今日はどれくらい泳がれましたか?」と話しかけてきた。

 

この日、僕は滞在時間のわりに1キロくらいしか泳げてなかった。こういう時は記録を盛って話したい「男子心」が僕にもあるのだが、しかし、こんな年寄りと争っても仕方あるまい。

 

「まあ、三時間くらいいるんですけど、だらだら泳いで1キロくらいですね」と僕は素直に答えた。するとお爺さんは「そうですか!僕は一時間で二キロ以上泳ぎましたよ。わっはっは」と笑う。

 

このお年寄りは水中において僕の数倍のスピードで動くのかと、まじまじその体をみていると、お爺さんは「私は今年83になるんですが、こうやって身体を動かすのが趣味で・・・」と語り始めた。

 

僕は昔から年寄りの話を聞くのが好きだった。特にお年寄りが若かった頃の話、例えば支那人の水牛を銃剣の先で焼いて食ったら美味かったというものや、

 

 

焼夷弾はどんな音で降ってくるのか、または久しぶりに見た幼なじみが厚化粧をして米兵のパンパンになっていたという類の話は真剣に耳を傾けた。

そういったものと比べ、このお爺さんの話は、「80代で水泳2キロ、その健康の秘訣とは」といった町内会の会報のような内容だった。しかし僕は町内会の会報を読むのも好きなのでしばらく、ジャグジー風呂にてこのお爺さんと話すことにした。

 

 

この人は三宅さんという名前だった。三宅さんはしばらく健康の秘訣について話した後、最も重要なことは「食べ物をよく噛むこと」だと説いた。

 

しばらくこういった他愛もない話をしていた。ふと三宅さんが僕の職業を聞く。僕は「僕はぷー太郎です」、と率直にと答えた。

 

これまで快活に話していた三宅さんは、きりっと表情を変え、「どうして働かないの?」と僕に質問する。僕は「やる気がでないんです」と答えた。

 

「それはだめだ」と何か孫を叱るような語気になると、続けざまにやる気が出ない理由を聞かれた。この人に何と思われようと構わないなと思い、僕は最近感じたことを話した。

 

結局、社会から落伍する恐怖とは、落伍すれば社会的な関係や女が得られないから恐いのだろう。しかし僕はこんなになった今でも、まわりには甘やかしてくれる人ばかりだ。だから差し迫る恐怖感がなく、やる気がでないのではないかと

 

「ならそんな関係は、切れ」と三宅さん即座に答えた。ジャグジーの水音にもかき消されない、鋭い響きがそこにあった。

 

 

僕は少したじろいだ。支那人の水牛を取って食ったり、空から焼夷弾が降ってきたり、幼馴染が米兵のパンパンになった世代の人の意見には、なんというか、迫力がある。

 

僕は歯切れの悪い回答をしていると、三宅さんは「とりあえず、君は泳いで身体をきたえろ」と言われた。「2,3キロ泳げて、精神を鍛えて、話はそこからからや」

 

たしかに、そうかもしれない。僕はしばらくこの80代の老人の説教を聞くことにした。しかししばらくすると、僕がぷー太郎かどうかとは全く違うベクトルの問題が起こっていた。

 

そう、三宅さんの説教が長すぎるのだ。そのせいで僕はジャグジー風呂に半ばのぼせかけていた。にも関わらず、三宅さんは3度目となるよく噛むことの重要性について話し始めた。

 

地球上にいるすべての年寄りは、自分の昔話と健康について話すことを最上級の生き甲斐にしている。そんなお年寄りにとって「平日のジャグジー風呂にいる、一キロしか泳げない若者」はまさに格好の標的なのである。

 

 

しかもプールのジャグジーという場の「地場」も影響し、三宅さんの説教は加速している。ここには、よく泳ぐものが正しいという風潮がある。

 

きっと僕が4キロくらい泳いでいたら、「君は体力があるし、必ず仕事が見つかるだろう」と、こんなにも長く説教はされてなかっただろう。ジャグジーにおいて、ぷー太郎かどうかはあまり関係がないのだ。

 

僕が今の調子では、プールに来る度いつも説教されてしまうだろう。ジャグジー風呂で安らぐためにも、水泳を以ってこの老人を打倒せねばならない。

この老人に勝ちたい。僕は強く願うようになった。

 

 

一週間後再びプールを訪れた時、僕はいつになく真剣に泳いでいた。三宅さんに勝つ。十二分に泳いで、「今日は4キロ泳ぎましたよ、三宅さんは?」とジャグジー風呂での優位性を確保するのだ。

 

しかし調子がいいのは最初の100メートルくらいで、あとはいつも通りだらだら泳いでしまった。僕が不格好な平泳ぎでのろのろ泳いでいるレーンのとなりで、小学四年生くらいの男の子がすいすいと僕を抜き去っていく。

 

 

このガキ、大人を馬鹿にしやがって。と僕は加速し男の子を追いかけた。いくら向こうが水泳経験者だといえども、こっちは「大人」だ。腕は長く、一かきする度に、どんどん相手に迫る。これが大人の性能じゃと思った矢先、肺に水が入ってしまった。

 

苦しさのあまりプールサイドにつかまり、げぇげぇとそれを吐いていると男の子はくるりとターンし、再び僕の横を泳いでいく。くやしい。しかし、威厳を崩すわけにはいかん。僕は教導的な視線でそれを見送った

 

この後もだらだら泳ぎ、結局前回とあまり変わらぬ累計距離のまま、僕はジャグジーに入った。するとどこからか三宅さんが現れ、「今日は何キロ泳いだんですか?」とにこにこして聞いてきた。

 

この日も三宅さんは、一キロ余りしか泳げない男に、延々と人生論や、よく噛むことの大切さを説いた。今日も僕はこの老人に勝てなかった。

 

しかし、今回は説教のほかに、扶養家族と減税の問題や老人ホーム拒む老人の話題があがった。どの話も結局のところ「なら若者に金をくれ」に対して「タダで渡すわけにはいかん」といった対立が起きた。

 

そろそろ、でのぼせてきたなと思っている時、ふと、この老人の活力の源は何だろうと、疑問に思った。そこで「なんで三宅さんは泳ぐんですか?」と質問した。「僕は生きるために泳いでいる」と三宅さんは端的に答えた。

 

じゃあ、君はなんで泳ぐのかと聞き返された。ボケ防止と答えるのは失礼な気がしたので、「もちろん、モテるためですよ」と言い返す。すると再び「そんな事よりもっと大事なものが・・・」と説教が始まった。僕の失言により結局、この日ものぼせてしまった。

 

この日は同じタイミングでジャグジーから上がった。以前は気付かなったが、三宅さんは足腰が悪く、杖がないと歩けない身体だった。五年前の脊柱の手術がうまくいかなかったのだと、三宅さんは僕に語った。

 

 

二人でゆっくりプールサイドを歩いている時、大変そうなので三宅さんに、手を貸してあげようかと思った。しかし三宅さん杖があれば大丈夫だと言っていたし、なによりこういう時、老人扱いされるとプライドが傷つくだろうと思い僕は手を貸さなかった。

 

 

家に帰り、今日見た三宅さんの姿を思い出していた。「生きるため」に何かをやろうという気持ちは、ああやって杖をつくまでわからないかもしれない。

 

しかし、僕も杖をつくまで、今の生活を続けるのかと思うと、やはりそこには恐怖心がある。そうか、恐怖心か。「このままでは、寝たきりになる」と考えた時の恐怖心が、80代で、さらに足腰が悪い三宅さんを、一日2キロも泳がせているのだろう。

 

受験にしろ、就職にしろ、「周りの人に後れをとる」という恐怖心は、他者と競争し続ける苦しみを上回るのだろう。だからみんなあんなに必死に頑張れるのだ。そういう恐怖心に疎い僕は、これからどうなってしまうのだろう。

 

あ、こう考えると少し恐い気がする。

 

いつまで、自分なら何とかなるかと、甘い夢をみているのだろう。三宅さんのような80歳の年寄りも、人や自分に負けないよう努力しているのだ。それをやめたらきっと恐ろしいことになるかもしれん。

 

次回あった時は三宅さんを少しでも安心させてやろう。そう思い、飯を、よく噛んで食べた。

 

ここだけの話、よく噛むようになってから、すこぶる調子がいい。

 

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