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高齢者向け実演販売ビジネスの実態

ドンドドンドンドン!!

それは明らかに宅配業者のドアの叩き方ではなかった。僕は眠い目をこすりながら玄関へ向かう。ドアを開くと、そこにはやはり佐藤さんが立っていた。

 

佐藤さんはマンションの同じ階に住むおばあさんだ。「よかった。おったんや」。僕がドアを開けると満面の笑みで僕を見上げそう言った。

 

「ほれ、今日も安かったしお兄ちゃんのぶんも買ってきたで」。佐藤さんはそういうと、小脇に抱えていた新聞包みを僕に手渡す。なかをあらためれば案の定、パンや卵など日用食品だった。「佐藤さん、また松井くんのとこに行ってたんですか?」。

僕がそう佐藤さんに言うと佐藤さんは「だって松井君は若いのに頑張ってはるんやで。お兄ちゃんも頑張りや」と返した。

 

そして用が済むや否や、老人用押し車を器用に超信地旋回させ自宅へと歩き始めた。

 

 

僕のマンションの近くに自然食品の実演販売店が出来た。それを知ったのは、日がな一日やることもなく散歩している時だった。いつもと変わらない昼下がりの住宅街。

 

しかし今日はやけに多くの老人用押し車が走っている。そしてそれらは一様にある路地裏に吸い込まれている。なにかある。僕はふとそう思い彼らの行方をおった。

すると皆が一様に裏びれたテナントの一階に入っていくではないか。それはちょうどコンビニのように道に面して大きな窓があるテナントだった。

 

表には健康食品に関するのぼりや手書きの案内が貼られている。窓からなかの様子を伺えば、そこは講演会会場のような壇と椅子が配置されていた。

 

なかには「お酢」や「サプリメント」、「羽毛布団」などがなんの脈絡もなく並べられている。

 

そしてなんと、なかにはすでに50人近い老人たちが集まっているではないか。スタッフと思しき人間がにこやかにお年寄り一人一人にパイプ椅子をあてがっている。

 

この作業が終わると、おもむろに実演販売の前説らしき演目が始まった。

50人近いお年寄りの視線が一瞬にして登壇者に注がれる。これからいったい何を話すのだろうか。張りつめた空気が窓の外にいる僕を包む。

 

「当たり前の幸せを取り戻す」。時候の挨拶を終えると、登壇者はおもむろにホワイトボードにそう書き記した。

 

その瞬間、僕の中で「お酢」や「サプリメント」、そして「羽毛布団」など脈絡もないそれら商品群が一本の線で繋がった。

「この手があったか!!」。

 

背後に蠢く巨大なビジネスの機会を察知した僕は、固唾をのんでそれを覗き見ていた。

 

どうやらこの実演販売店は、佐藤さんのような独居老人を格安商品で集め、巧みな話術と実演により、利益率の高い御酢やサプリメントなどを売る商売をしているらしい。

 

 

佐藤さんによれば、ここの今一番人気の販売員が「松井君」(仮名)なのだそうだ。マンションに住まう他の常連さんも一様に「若いのに頑張ってはるさかい」と彼を讃えていた。

 

しかし、この実演販売店で高級羽毛布団を買い、離れて暮らす息子に怒られたという事例も聞いたことが有る。ゆえに近頃マンション内ではこれを問題視する人も多い。

だが、こうした店舗は佐藤さんのような独居老人に娯楽やコミュニティを提供している側面がある。なので、「行くな」とは言えないと僕は考えていた。

 

「佐藤さんありがとう。でも布団はニトリで買うんで!」。僕はそう佐藤さんの背中に声をかけた。佐藤さんと老人用押し車は振り向きもせずに、通路の向こうへと消えていった。

 

****

「現在の状況と宮崎さんの適正を考え、インド拠点での先行を進めたいと思います。つきまして、インド拠点長とスカイプにて面接を行って頂きます。

 

本日14時~20時あるいは明日18時以降(いずれも日本時間)都合の良い時間をお教え頂ければ幸いです」。

 

正午前、一通のメールが届いた。画面を見てみるとこう書いてある。それは僕が七月から採用選考に進んでいる、ある大きな人材サービスの会社からのメールだった。

 

結局インドか。もう賽は投げられた。やってやろう。僕はそう決意し、デリーとニューデリーの違いを調べたのち、採用担当者に面接時間について返信した。

 

当初、僕はここの中国法人の採用面接に進んでいた。そして、最終面接までこぎつけることが出来た。

そしてその後はしばらく、面接の結果を待つ少し緊張した日々を過ごしていた。しかし、最終面接の結果発表日に届いたのは「三次面接のお知らせ」だった。

 

なんじゃこれは。僕はガン検診の再検査通知を受け取ったようにゾっとした気分になった。これはどういうことなのか、採用担当者に聞いてみた。すると予想だにしない返答があった。

 

これまでの選考を通して、僕の内定はほとんど決まっていたらしい。しかし彼らは雇用者として僕が中国で就労ビザをとれるかどうか非常に気にしていた。

 

 

昨今中国政府は外国人就労ビザ発行に関する規制を強化しているらしい。この就労ビザ取得の条件はポイント制で審査される。

詳しく書けば長くなるが、僕の場合、中国語の国際検定最上級を持っていること、また修士号を取得していることから、一応就労ビザは許可されるだろうという見込みで採用面接を進んでいた。しかし届いたメールは以下のような内容だった。

 

「宮崎様の場合、就労ビザが下りない可能性があるので、今回中国拠点での採用は見送らせて頂きました」。

 

中国人採用担当者のメールをここまで読んだ時点で、僕は内に秘めたる語彙力を活かし、婉曲的な表現で彼女の母親を罵る中国語をいくつか考えていた。

 

最終面接まで通しておいて、はなから分かりきっていた問題を理由に不採用にされてはかなわない。だがメールはここで終わりではなった。

 

「そこで、今回は異例なのですが他のアジア拠点を受けて頂きます。つきまして面接時間は…」。こうして僕の人生の選択肢に、突如としてベトナム、タイ、マレーシア、シンガポールなどの東南アジアの都市が出現した。

僕は蒸しあがる東南アジアの空と、夜の街にひしめく屋台とビール、そしてインターナショナル保育園にて我が子の送り迎えをする自分の姿を想像し、三次面接に臨んだ。

三次面接は、その会社のアジア全域の統括責任者と僕とでスカイプにて行われた。面接内容は前回とあまり変わりなく、比較的順調に進んだ。面接の最後に、彼は今回の面接の経緯を僕に説明してくれた。

 

 

海外で働く場合、就労ビザ取得がまず一つのハードルになる。そして、僕のような正社員経験がない人間がすんなり働ける国は少ない。

 

「この後は、宮崎さんの適正と拠点の空き状況を鑑みて、勤務候補地をお伝えします。現段階としてこちらは、就労ビザ取得の観点から、インドかタイがふさわしいのではないかと考えています」。彼はそう語った。

 

面接が終わり僕はスカイプを切った。

 

「ところで、インドってなんだろう?」。

面接の緊張状態から解かれた僕は、またしても突如出現した新しい選択肢を飲み込めないでいた。

 

いったいインドで働くことになったら、僕はどうなってしまうのだろう。仕事を終え我が子を迎えに行くと、インターナショナル保育園はインド象の襲撃により跡形もなく踏みつぶされていた、ということが起こり得るのではないだろうか。

 

そして迎えたのが、今回のインド拠点での面接だった。面接は主に僕の経歴や物事に対する考え方を聞くものだった。最終面接らしい最終面接である。

 

面接の最後にインド拠点長は僕に早速結果を話し始めた。

 

「私としては、お互い何度も連絡したり、面接して時間を無駄にしたくないと考えています。なので、結果からお伝えすれば、宮崎さんにインド拠点での正式な仕事のオファーを出そうと思いますが、受けて頂けますか?」。

僕はこれに、はい、よろしくお願い致します。と答えた。「ありがとうございます。正式な連絡について来週までお待ちください。では今後ともよろしくお願いいたします」。拠点長はそう言い、面接は終わった。

 

スカイプを切ると、外は雨が降っていた。僕は立ち上がり、来ていたスーツのネクタイに手をかけた。学校を卒業して、寄る辺もなく社会に放り出され数年が経っていた。

 

このネクタイを結び就活を始めて、思っていたより早く仕事を見つけることができた。だが、ネクタイを結ぶまでの時間がずいぶんとかかった。

 

そうした時間の大半はとても楽しいことばかりだったが、少しだけ辛いこともあった。これからはまた別の種類の受け入れ難いことが現れるのだろう。

 

 

本当になにもかもくそったれである。「お前のお母さんを犯すネクタイ!」、僕は直訳するとそういう意味になる中国語を叫び、解いたネクタイを地面に叩きつけた。

ふと時計を見るとまだ四時過ぎだった。あ、佐藤さんたちがあの実演販売店へ行く時間じゃないか。僕はこのことに気付いた。どうせ今日はもう予定がない。

 

せっかくだしこれからサラリーマンになる身の上として、働くとはなにか見学しにいこうか。そう思い僕は傘をさして外に出た。

 

例のテナントに到着し、窓から中の様子をうかがう。すると雨天にも関わらず、それなりの人数が集まっていた。

 

ホワイトボードを見れば今日のテーマは「毎日の健康な朝を迎えるために」だった。壇上では眼鏡をかけ、年のころは僕と同じくらいの男性が話していた。名札をみれば大きな文字で「松井」と書かれている。

あれが「松井君」か。近隣でお年寄りから人気のある若者として、僕は彼をライバル視していた。よくもお年寄りに高級羽毛布団を売りつけやがって。

 

僕はキリッと彼をにらみつける。会場には登壇者である彼と、数十名のお年寄り、そしてサポートスタッフが二人と奥に上司らしき中年男性が控えていた。

 

松井さんは、「人気ナンバーワン健康野菜ドリンク」の紹介をしていた。その健康効果について、調子よく話している。

 

しかしいざ試飲を配る際、その準備を忘れていることに気が付いたようだった。彼は焦りを隠しきれず急いで他のスタッフと共に試飲を作る。それに上司らしき男性が苦い顔をしている。

おお、失敗しているぞ。僕は傘をさし、それを窓越しに覗き見ていた。そこに集まっているお年寄りたちは「しっかりしいや」とか励ましの言葉を笑いながら口にしている。

 

そうしたハプニングも楽しんでいるようだった。試飲の準備が終わり、松井さんは一番前に座っていたおばあさんにそれを手渡した。

 

するとそのおばあさんは、「あら美味しい、ありがとう、元気になったわ!」と冗談めかして感想を言った。すると会場にささやかな笑いが起こった。

 

それを見た松井くんも、お年寄りたちと共に笑い、ドリンクの飲みやすさについて説明を再開した。上司は相変わらず苦い顔をしている。

 

その光景に何故だか知らないが、急に涙が込み上げた。僕も彼のように笑うことができるだろうか。

僕はこれからやっと正社員として働く。そうなればきっと安定した給料と社会的地位が手に入る。だけどそのために納得いかないことも増えるに違いない。

 

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彼は僕と同年代くらいの若者だ。仕事を探す時、同じようなことを考えていて、同じような悩みが有ったに違いない。

 

健康ドリンクや高級羽毛布団を売りたくてしかたないから、あそこに立っているわけではないだろう。給料のため、役割を演じているにすぎない。それが僕にも出来るだろうか。

 

ふと会場の隅に積まれた高級羽毛布団を見やった。あの布団一つ売るにしても嫌な事の連続だろう。たとえ相手が一人暮らしのおばあさんでも売らなければならない。

そんなおばあさんに売るための布団を作りたくない職人に頭を下げて、さらにそんなおばあさんに一枚たりとて自分の羽を分けたくない水鳥から羽毛をむしり取らなければならない。それを苦い顔をした上司の下で行うのだろう。

 

雨の音で、ふと我に返る。しかし、こんな屁理屈を並べる時はもう終わった。僕も頑張って働かなければならない。僕はすでにいい年だ。

 

僕と同い年で、気の利いた人間なら、今頃銀行で貸付をしているだろう。なのに、僕は未だこんなところでコソコソ傘をさしている。

 

雨はやみそうになく、いじらしく降り続いている。実演販売は松井さんの出番が終わり、なにか用紙の配布が始まっていた。その時、スタッフの一人が僕の姿に気付いたようだった。

 

怪訝そうにこちらをみている。いつまでもここにいられない。僕はその場を離れることにした。

 

いつかここに戻ってくるとき、僕も多少なり人の役に立って、高級羽毛布団の一枚くらい買える人間にならなければならない。そう思うと、少しやる気が湧くのを感じた。

 

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